JOC(ジョック)の創立者カルデン その3
カルデン神父についてまとめた資料一覧はこちらです。
第二次世界大戦下で
1939年、第二次世界大戦が始まると、ベルギーはふたたびドイツに占領されました。
ナチスはJOCを利用しようとしましたが、カルデンとJOCのリーダーたちは、断固拒否しました。さらに、JOCはナチスから迫害されている人たちをかくまいました。強制労働のためにドイツに連れていかれる労働者や、ユダヤ人、政治犯、レジスタンスの人たちに、JOCのメンバーたちは身を隠す場所を提供しました。
第一次世界大戦の時の経験から、カルデンは自分が逮捕されることを予期し、そうなった時にも運動が続けられるようにと準備していました。そしてその予想は当たり、2人のジョシスト(JOCメンバー)と、1人の指導司祭とともに、カルデンは逮捕されました。
しかし、カルデンの人気があまりに高かったため、ナチスは2ヶ月後、カルデン1人を釈放します。しかしカルデンは、ほかの3人も釈放しないなら自分も牢に入ると主張しました。翌日、3人は釈放されることとなりました。
ドイツ軍が退去を始めた時には、人質として連行されそうになりますが、屋根の上に逃げ、煙突の中に身を隠してなんとか難を逃れたのでした。その時カルデンは、62歳でした。
国際JOCの広がり
第二次世界大戦が終わり、平和が訪れましたが、戦争によるJOCの犠牲者はたくさんいました。
しかし、戦争中にヨーロッパのジョシストの結束はさらに強いものとなっていました。この組織には、国際的なリーダーが必要であるとJOCは判断しました。この国際的なリーダーの誕生によって、JOC運動は全世界へ広がることとなるのです。
カルデンの活動も、ますます国際的になっていきました。カルデンは生涯にわたり24回の旅をし、JOC運動のあるすべての国のジョシストたちを訪問しました。日本JOCへも、2回訪問しています。
死後も青年労働者のために
カルデンが亡くなる2ヶ月前、彼はテレビのインタビューに応えています。
「あなたは死についてどう考えていますか」
この質問にカルデンは、次のように答えました。
「死は生き続けることです。死は過越にすぎません」
「ではあなたは、亡くなってから何をするつもりですか」
カルデンは答えます。
「今と同じことをするつもりです。青年労働者のために働きます」
亡くなる前、病床についたのは3日だけでした。この時カルデンは
「今、始まったのです。ほんの今始まったばかりです」
と言い残しています。そして看護師が「何か必要ですか」と聞くと、
「ありがとう。何もいりません。すべてがよかったのです」
と答えたのが、最後の言葉となりました。
青年労働者への呼びかけ
カルデンはジョシストにこう呼びかけました。
「私たちは、革命を起こす者ではありません。私たち自身が革命そのものなのです。
ですから、自分を変えることから出発しまししょう。
本当の成長と養成は、それぞれの生活からスタートします。
私の行った方法を、みなさんが続けてください。
私はいつも、1人、2人、3人から始めました。そして毎日新たに始めました。
いつも新たに出発すること。これが一番大切なことです」
この言葉は、今もJOC運動の精神として息づいています。