JOC(ジョック)の創立者カルデン その1

1935年、ベルギーでのJOC創立10周年の祝いの時に、JOC初代会長は、集まったメンバーたちに次のように言いました。

「本当のJOCをここから持ち帰り、広げなさい」

本当のJOCとは、カルデンのJOCのことです。

当時の社会状況

カルデンは、1882年にベルギーで生まれました。当時のベルギーは、工業の急速な発展に伴い、労働者の過酷な状況がどんどん悪化している社会でした。12歳の子どもが12時間労働し、夜勤もしているといったことも、当たり前のように横行していました。

このようなことを問題視する人たちもいました。カルデンが生まれる一年前には、ベルギーに社会党が生まれました。また、カルデンが9歳の時、教会は初めて「レールム・ノヴァルム」という、労働者についての教皇回勅を出しました。しかし、教会の中でこの問題に目覚めている人は、ほとんどいませんでした。そんな時代に、カルデンは司祭になる決心をしました。

労働者の解放のために働く決意

神学生になって初めて夏休み、カルデンが自分の町に帰ってくると、学校時代の同級生たちは、ほとんど皆働いていました。この時の彼らとの出会いは、カルデンのその後の人生を決定づけるものとなりました。学校時代は皆、教会へ行っていたのに、働き始めて一年もたたないうちに、彼らは教会への反発や憎しみを抱くようになっていました。彼らは、神学生であるカルデンを敵として見ました。

「友達が、突然敵になった」

このショックを、カルデンは一生涯忘れませんでした。この時にカルデンは、労働者のために働く司祭になると決心したのです。

さらに、カルデンが21歳の時、彼の父が亡くなりました。息子を神学校へ通わせるために命を削って働き、死んでいった父の姿に、カルデンは自問自答しました。

「父の人生は何だったのだろうか?なぜ読むことも書くことも学べなかったのか?なぜ奴隷のように働き、早すぎる死を迎えたのか?」

その時カルデンは、父に誓ったといいます。

「あなたは私のために命を捧げました。私は世界の青年労働者を救うために自分の命を捧げます」

最初の一歩

司祭になったカルデンは、ブリュッセルのラーケン教会に赴任し、活動を始めました。着任してすぐに、カルデンはその教会の司祭に尋ねました。

「このあたりで、一番労働者の多いところはどこですか?」

彼は、ていねいに教えてくれましたが、付け加えてこう言いました。
「あそこには、もう10年も司祭が行ったことはありません。危険ですから…」

しかしカルデンは、毎朝、人々が仕事に出かける時間に、彼らに挨拶をし、話しかけました。

「どこで働いていますか」「そこに労働者は何人くらいいますか」「仕事はつらいですか」「給料はどれくらいですか」「女性は多く働いていますか」「あなたの子どもはどうしていますか」

この時のカルデンの言動にはすでに、JOCの原理が見られます。「まずは状態をはっきりと見ること」。

グループの誕生

カルデンの教会での仕事のひとつは、青年グループを担当することでした。それは小さなグループで、クリスマスに聖劇を発表する以外には、活動もあまりありませんでした。

しかしこの青年たちは、ほとんどが悲惨な労働状況で働いている貧しいお針子の女性たちでした。カルデンは彼らに働きかけ、若者の労働状況についての研究会を作りました。

こうしてカトリックの女性労働者グループが結成され、青年労働者の生活と仕事について調査し、行動を起こすようになりました。

その後、第一次世界大戦によって多くの活動は阻まれましたが、終戦後再開し、1919年には男性グループもはじまりました。

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