JOC(ジョック)の創立者カルデン その2

カルデン神父についてまとめた資料一覧はこちらです。

第一次世界大戦

1914年から第一次世界大戦が始まり、ベルギーはドイツに占領されました。

カルデン神父は教会での説教の中で、ドイツ政権によって行われているベルギー人の強制労働を批判し、その結果、逮捕され7ヶ月間投獄されました。

この投獄生活は、カルデンにとって、自分の使命について深く考える期間となりました。持っていった本は2冊、聖書とマルクスの資本論でした。投獄されている間も、青年労働者や、教会の信者たちとのつながりは続きました。

釈放後も、ふたたびドイツ政権の不正を批判したカルデンは、逮捕され、今度は10年間の強制労働の刑を言い渡されます。
しかし、その6ヶ月後に戦争が終わったため、解放されることとなりました。

青年たちへの呼びかけー「人を漁る」

第一次世界大戦後、カルデンの組織する青年労働者のグループは、ますます発展していきました。

ある時の研究会で、カルデンは聖書の一節を引用しました。それはイエスが4人の弟子たちを召し出す場面です。
イエスはその時4人に、「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしよう」と呼びかけました。

カルデンはこの呼びかけは、司祭たちだけに向けられたものではないと話しました。研究会に集まっている彼ら青年労働者たちも、ほかの労働者たちの間へ入り、「人を漁る」使命を持っているのだといいます。神からの召し出しは聖職者に対してのみ行われるものだと考えられていた、当時の若者たちにとって、これは驚きと感動をもたらす言葉でした。

若者たちは、自分が誰からも信頼されない、期待をかけられていない存在だと思っていました。事実、職場でも生活の場でも、常に彼らは取るに足らない替えのきく労働者として扱われてきました。自分たちも神から呼びかけられていると知った時、彼らは涙が出るほどの喜びを感じました。
その姿は、現代の若者にも似ているのではないでしょうか?

教会との対立―ピオ十一世への会談

カルデンの作った新しい青年労働者グループは、「労働者」のためだけに活動を行っているという点で、教会内に波紋を起こしました。なぜ彼らは、教会に階級闘争を持ち込もうとするのだろう?

当時、ベルギーのカトリック教会では、青年の活動はすべて「ベルギー青年カトリック連盟(ACJB)」の管轄下に置かれていました。教会は、新しいグループもそれに従うことを求めましたが、カルデンはACJBからの独立を望みました。なぜなら、ACJBの多くは裕福な若者たちで、精神的な面で信仰を深めることしか目的としていなかったからです。

ベルギーのカトリック教会からの風当たりは次第に強くなり、カルデンは最後の手段に出ました。彼はローマへ行き、教皇ピオ十一世と謁見することを試みたのです。

メルシェ枢機卿の許可を得て、なんとか教皇との非公式の会談を持つことができたカルデンは、労働者の救いのために命を捧げる覚悟で、長い時間教皇と語り合いました。会談の末に、教皇はこう答えました。

「あなたの運動を祝福するばかりでなく、それを望み、一番大切にしたいと思う」

教皇ピオ十一世とメルシェ枢機卿の正式の認可を得て、ベルギーのJOCは1925年4月18日に、公式に誕生しました。

本当のJOCはどこにあるか

10年の間に、JOCは西ヨーロッパ全体、カナダまで広がっていきました。

10周年記念祭のために集まったたくさんのジョシスト(JOCメンバー)を前に、カルデンは神に感謝しながら言いました。

「多くのジョシストが集まったことも非常に嬉しいが、本当のJOCはここではなく、それぞれの職場や家庭に、青年労働者が日々生きている現場にあるのです」
「それぞれの場所に帰って、職場や生活の場で頑張りなさい」
「あなたたちが、現代の希望になりなさい」
「あなたたちを祝福します。行って使命を果たしてください」

賑やかな祭典の後に、「本当に素晴らしかった」と感動する青年のJOC会長にも、カルデンは次のように言いました。
「たしかに素晴らしかった。しかし、仕事は今から始まります」

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